成功体験によって、人は作られていくのだなと改めて感じました。

「苦しみの先に喜びがある」という経験を積んだ人は、他人にも同じような経験を求めてしまうものなのかも知れません。何と言っても、当人にとっては偽らざる成功体験=正解なわけですから。

もちろん、苦しみを乗り越えたからこそ得られる喜びも、苦しみを乗り越えないと得られない喜びも、どちらもあると思います。しかし、あらゆる体験は、“特殊な”前提条件のもとで成立したものに過ぎないはずです。

「苦しみの先にしか喜びはない」―これが個人の見解に止まるのであれば、何も問題はありません。特に、その苦しみが自ら選び取ったものであれば、どのような結果に終わったとしても、その人の人生に大きな意味を与えることでしょう。一方、その苦しみが無理やり押しつけられたものだとすれば、果たして、その先に喜び=成功体験はあるのでしょうか?

個人の体験は、どこまでいっても固有の経験に過ぎません。自分にとっての正解が、他人にとっても正解になるとは限らない。その視点を忘れてはいけないと思います。