地域によっては、昨年以上に行動を制限された夏が過ぎ去ろうとしています。これから先の未来において、今年の夏は、どう思い出され、どう語られて行くのでしょうか。

私の世代は、カルチャーの中心に音楽が鎮座していた、おそらく最終盤あたりに青春を過ごしたため、ある楽曲を語ることが、その時代を語ることになるというくらい、思い出と音楽がセットで記憶されている人も多いと思います(私が音楽好きだっただけかも知れませんが)。

そのおかげで、何度、夏を繰り返しても、何となく、あの曲を聴かないと夏が始まって終わった気がしない…みたいな定番の楽曲があったりするのですが、さすがに今年は、東京から一歩も出ておらず、あまりにも出来事がなさすぎたため、そんな音楽すらも必要としないまま、夏が終わりを迎えつつあります。

人の行動習慣には、あってもなくても良いような、惰性で繰り返していることも多いため、此度のような行動制限を強制されると、改めて本当に必要なのかどうか、篩(ふるい)に掛けられた習慣も多かったのではないでしょうか(何となく通っていた○○とかが典型ですね)。

その一方、新たに加わった習慣もあるはずで、代表的なものは、手洗い、うがいなど。

思い返すと、コロナ以前の手洗い、うがいは、結構いい加減というか、正直なところ、きちんと励行せずに過ごしていたことも多かったように思います。それでも、ほとんど体調を崩さずにいられたのは、日頃のメンタルトレーニングのおかげとも言えますが、あまり褒められたものではありませんね。

感染状況が落ち着いても、日常の手洗い、うがいは、そのまま続ける人が多いであろうと予想しますが、その時は、おそらく無意識に近い、何となくの流れで実行する感じになるのではないかと。そして、その感じが正に、本物の習慣化を表す状態であり、そうなると、モチベーションに頼らない分、行動が継続されやすくなります

…と

ここから別のテーマに展開しようと思ったのですが、話が少々長くなったため、今回は、ここで終わりにします。いちおう書こうと思っていたのは、ダイエットについてですが、もし他の話題を思い付かなければ、次回?続きを書くかも知れません。