小~中学生の頃、料理漫画をよく読んでいました。私の世代だと、美味しんぼ、ミスター味っ子、クッキングパパあたりです。興味を持ったきっかけは、もう忘れてしまいましたが、食に対する私自身の興味の薄さを考えると、創作することの面白味みたいなものを感じていたのかも知れません。ジャンルや内容を問わず、創作に集中する時間は、今でも私のフローな一時ですので。

その影響もあるのだろうと思いますが、料理人になるのもいいかなと、ぼんやり考えていた時期もありました。今では必要最小限の料理しか作りませんが、小さい頃から、料理に対する何となくの勘は働いていたような気がします。もちろん、家庭料理レベルの話ですが、生身の人間から料理を教わった経験が全くないことを考えると、その「勘」は、まず間違いなく漫画の影響のはずです。

一般論としての漫画の効果は色々あると思いますが、スポーツとか芸術とか、あるいは、娯楽や趣味に関することとか、特定の分野のヒット作が生まれると、そのことを始める子供が増えるというのは、すぐに思い付くことの1つでしょう。それに加えて、そういう子供が(ヒット作が登場する以前の子供と比べると)驚異的なスピードで上達するというのも、よく指摘されることです。

漫画の中では、主人公を始めとした登場人物が、尋常ならざる技術や能力を発揮することがよくありますよね。それを、経験に基づく常識を身に付けた大人が読めば、あくまでも非日常の作り話として受け止めることが多いのではないかと思います。一方の子供は、それが現実的かどうかよりも、自分も同じことをしてみたい、同じようになりたいという純粋な欲求として発露させることが多いのではないでしょうか。

つまり、漫画というイメージによる可能性の拡張が、子供の非常識的な上達スピードに影響を与えるのではないかという話ですが…。言うまでもなく、こんな御託を並べるところが、いかにも大人の発想ですよね。 このエッセイでも以前に取り上げた、大谷翔平選手とか井上尚弥選手とか、それ以外の私が知らない分野にも、漫画を超えるほどのスーパースターがいらっしゃるはずです。常識というのは過去の評価にすぎないわけですから、常識的ではないことを理由として可能性を否定するのではなく、むしろ、新しい可能性を支持することが(少なくとも受け入れることが)大人の役割でもあると思います。