「割れ窓理論(Broken Windows Theory)」は、ご存じの方も多いでしょう。検索すれば、いくらでも解説が出てきますが、今では、再現性がない理論の1つとも指摘される一方、秩序を維持するために、軽微な犯罪を取り締まろうとする意図については意義があると思います。言うまでもなく、社会的コストとのバランスを考慮した上で。

しかし、だからと言って、軽度な違反に厳罰を科すのは、逆効果になるかも知れないというのが今回の主題です。

改正道路交通法の施行(2023年4月1日)により、自転車利用者のヘルメット着用が努力義務化されました。ただし、“努力”義務ですから、違反をしても具体的な罰則はなく、むしろ、交通事故に遭遇した場合の過失割合とか、保険の補償対象外になる危険性の方が、大きな問題なのだろうと思います(要するに、運転者の安心・安全のため)。

ここで、仮に、ヘルメット未着用に対する罰則を極めて重くすると何が起こり得るでしょう。

急いでいる時など、ついうっかりヘルメットをかぶり忘れて自転車に乗り、それを誰かに見られたとします。その時、犯人は、目撃者に危害を加えて口封じしようとしたり、危険を犯して逃げようとしたり、もしくは、目撃者による犯人への恐喝や脅迫を誘発することもあるかも知れません。つまり、より大きな犯罪を発生させる恐れがあるということです。

話は逸れますが、近年よく見かけるようになった電動キックボードも、使用時のヘルメット着用は努力義務だそうです(かぶっている人を見たことはありませんが…)。どちらかと言うと、こちらの方が危険なのでは?と思う時もありますが、自転車と比べてシェアリングサービスの利用率が高い=ビジネスが先行しているので、商売の妨げになりそうなヘルメット着用の義務化は、おそらく進まないでしょうね。

もう少し日常的なところですと、他者の行動の中に、自分の意に沿わない(でも、本人はやりたい)ものがある時、それを厳しく禁じてしまうと、その行動が表から見えなくなり(地下に潜り)、気が付かないうちに事態を悪化させる可能性が高まります。このような場合は、監視下に置きつつ、逸脱の程度を把握しながら適度な罰(注意)を与える方が、秩序を保つ上では有効ということも考えられるのです。

まとめると、量刑は段階的でなければならない、違反と罰則のバランスが重要という話でした。