2018年9月

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ニッチな話かも知れませんが、高校野球(硬式)の投手の球数制限に関する意見を結構よく耳(目)にします。以前、メンタルウェルネストレーニング(MWT)協会の研究会でも触れたことがある話題でして、少々気になったため、簡単に私見を述べさせて頂きます。ちなみに私は、球数制限ありに賛成派です。

球数制限なし派の意見としては、「体力の限界を超えて頑張る姿が感動に繋がる」「苦しい状況を乗り越えることで忍耐力が身につく」などが、比較的多数を占めるかと思います。

「感動」という見解に対しては、観戦する側のエゴという応答で十分でしょう。また、「忍耐力」というのは、確かにその通りですが、それは他のことでも身につけられるものであり、ゆえに、球数制限不要論を支える強力な根拠にはなり得ません。そもそも、球数が増えることで身体の負担が増すことの危険性を議論しているわけですから、論点がズレていますし、これこそ根性論に繋がる発想のような気がします。

個人的には、球数制限を設けることで、より多くの選手(生徒)に試合への出場機会が与えられる方が、本来は教育の一環である部活動の存在意義にも適っていると思います。また、一部のスター選手(生徒)に頼れなくなるのであれば、皆で力を合わせざるを得なくなるため、結果的にチームワークの重要性が増すはずです。そして、球数制限がある中で、どう試合を進めるかという点では、監督や選手を含めたチーム全体としての戦い方を明確にする必要性が生じるため、今まで以上に、日頃からの意思疎通が大切になるでしょう。 制約条件を最大限に利用しながら、望む結果に結びつける経験を積む方が、社会に出る準備としても役立つように思うのですが、それにしても、つくづく日本人は根性論が好きなんだなぁと感じる一件です。こうなってくると、誕生の経緯に根性論へのアンチテーゼ的な意味合いを持つメンタルトレーニングの出番、ですかね。

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