2022年9月

可聴周波数帯域を超えた超高周波成分を含む音が、脳深部の基幹脳ネットワーク(間脳・中脳・前頭前野など)の活性度を高め、心身にポジティブな効果をもたらす現象「ハイパーソニック・エフェクト(HSE)」について。大橋力氏(映画『AKIRA』の劇伴音楽を担当した芸能山城組を率いる音楽家・山城祥二氏と同一人物)の研究によると、人間が認識できる上限周波数20kHzの音に、50kHz以上の超高周波成分を加えて再生すると、(超高周波成分は音として認識できないにも関わらず)音の印象が変わり、心身にポジティブな反応が表れるのだそうです。

今や平成時代の遺物と化しつつあるCD(Compact Disc)には、規格上22.05kHzまでの音しか収録できません。その理由はいくつかあるようですが、例えば、人間の可聴域がおよそ20Hz~20kHzであり、しかも15kHz以上の音は音質に影響を与えないと考えられているため、20kHzくらいまでの音を再生できれば十分だから…など。しかし、自身の作品をCD化した結果、レコード(昭和時代の遺物?)からの音質の落差に大きなショックを受けた大橋氏が、脳科学の手法を導入して生理的反応面から見出した根拠がHSEでした。

可聴音のみの音と比較して、ハイパーソニック・サウンド(可聴音+超高周波音)では、基幹脳(間脳・中脳・前頭前野など)の血流増大、脳波α波の増大、免疫系への影響(NK:ナチュラルキラー細胞の活性)、内分泌系への影響(アドレナリンやコルチゾールなどストレス関連ホルモンの減少)、接近行動の増加(より大きな音で聴きたい)、好感度の増加(感動した、音質がよい、耳あたりよく響く)、また、映像と組み合わせた時の影響(画質がよい、美しく見える)などの、生理的指標を含めた効果(HSE)が確認されているようです。

接近行動や好感度の増加が、脳波α波の増大をもたらし、免疫系や内分泌系への影響に繋がるというのが、メンタルウェルネストレーニング的観点から考えられる一つの道筋でしょうか。

では、なぜHSEが起こるのか?続きは次月以降で。

2022年8月

現在、MWT協会の機関誌を製作している最中ですが、私も毎回2~3の記事を担当していて、その過程で不採用にする文章が、いくつかあります。普段は、そのまま削除して終わるのですが、ちょうどメルマガを書く時期と重なったため、その中からネタを1つ転用しようと思います。

参考文献は「予測不能の時代」(著者:矢野和男)

テーマは、エントロピー増大の法則と不平等の拡大。

エントロピー増大の法則(熱力学第2法則)については、大学時代に履修した「論理学」という結構マイナーな授業でも扱っていた記憶があるのですが、自然法則としては基本中の基本。ちなみに、熱力学第1法則は、ご存じ「エネルギー保存の法則」です。

授業で学んだ時は、エントロピーに「乱雑さ」とか「無秩序さ」という日本語を充てて、エネルギーが低い状態に向かい「乱雑さ」を増して行く現象とか、そのような説明を受けました。水は低きに流れるとか、暑いと氷は解ける、寒いと水は凍るとか、そんな感じのことをイメージすれば分かりやすいでしょうか。

この現象は森羅万象に当てはまります。当然、人体もエントロピーが増大するわけですから、時間が経つにつれて乱雑さが増し、老化が進み、その最終形として「死」に至るというわけ。より具体的には、細胞の境目が曖昧になるという意味での乱雑さが「老化」を表しているらしいですが。

さて、エントロピー増大の法則をシミュレーションするために、平等な状態から始めて、平等な確率で行われる取引を繰り返すと、最終的には不平等になる、つまり格差が生じるのだそうです。なぜなら、乱雑さとは、ばらつき=多様性がある状態のことで、多様性がある=違いがあるということで、違いがある=格差があるということだから。

もう気が付かれた方もいらっしゃるかも知れませんが、乱雑さとは、言い換えると“自然な”状態のことです。よって、先のシミュレーションにおける“平等”とは、本質的に不自然な状態であり、(多様性を認めることも認めないことも含めた)多様性こそ、自然が進む本来の方向性である、ゆえに格差が生じるというわけですね。

裏返すと、平等(が良いか悪いかの議論はさておき)のような“作られた”状態が維持されるのは(身に付くのは)、意図的な働きかけの結果ということも表しているのだと思います。

2022年7月

メンタルウェルネストレーニング(MWT)協会では、今年から沖縄の定期講座を開始しました。3月のビジョントレーニング2級、6月のビジョントレーニング1級が終了して、9月には再びビジョン2級を開催する予定です。

さて、私の生まれ育ちが東京だからでしょうか、沖縄(のような自然環境が豊かな地域)では、屋外で遊ぶ子供が多いのだろうと(だいぶ前まで)勝手に思っていたのですが、必ずしもそうとは言えないようですね。

そもそも暑くて外に出たくない(出られない)という理由もあるのかも知れませんが、沖縄に行くといつも思うのは、外を歩いている人が少ないなぁということ。移動手段=電車中心である東京の場合、駅間を移動したり乗り継ぎをしたりするのに、どうしてもある程度は歩く必要があります(“ある程度”ですから、十分かどうかとは別問題ですが)。

ところが、移動手段は自動車がメイン、徒歩数分のコンビニに行くにも車を使うとなると、歩くこと自体が少なくなりますよね…というのは、ほんの一例ですが、動く生き物である“ヒト”から動く機会が失われれば、単なる運動不足だけでなく、そこから派生する問題も色々と増えて来そうな気がします。

ヒトの成長には、大まかに、遺伝50%、経験50%が関与するとも言われていて、後者の「経験」は「環境」と言い換えることも出来ますが、その「環境」には、いわゆる自然環境だけでなく、生育環境や家庭環境のようなものも含まれます。

動物としてのヒトの発育・成長には、動きによる学び≒体験が不可欠で、これから社会が、どのように変化して行くのか分かりませんが、たとえ大きな変化が起こるとしても、ヒトというシステムに必須な体験まで、大きく変わることは考えにくいでしょう。

「環境」が変わり、「動き」の機会が失われたなら、そこに対して「遊び」からのアプローチを試みる。これが、MWT協会が提供するビジョントレーニングでもあります。

2022年6月

今回は、最近とある地方都市を訪問した際に気が付いたことから。

宿泊したホテルから、徒歩で約10分の距離にある最寄り駅に向かっていたのですが、人通りが少なく擦れ違った人は2~3人。でも、皆さん当たり前のようにマスクを着用されていて、もちろん私も、その中に含まれていました。

新型コロナウイルスの感染状況が落ち着きつつあり、なおかつ、夏の暑さが本格化する時期を迎えて思うことは、さて、いつマスクを外すことが出来るのでしょう?

日本人である私としては、街を歩く、ほぼ全員がマスク姿という光景を目にすると、やはり「ちょっと外しにくいよな~」と周囲の視線が気になってしまいます。何せ、空気を読みまくる国の住民ですので。

もちろん、暑かろうが寒かろうがマスクをしたい人はすれば良いし、マスクの恩恵(化粧のこととか、顔を隠せることとか)を知ってしまった2年余りを思えば、むしろ外したくないと思う人がいても何ら不思議な気はしません。

でも、内閣官房のホームページには「屋外において、他者と身体的距離が確保できる場合、他者と距離がとれない場合であっても会話をほとんど行わない場合は、マスクの着用は必要ありません。特に夏場については、熱中症予防の観点から、マスクを外すことを推奨します。」と書かれています(2022年6月3日時点)。

なのに、永田町・国会議事堂などの周辺で、例えば、警備の仕事をされている方が今のところ漏れなくマスク着用という事実は、どう理解すれば良いのでしょう。全員みずから進んでマスクをしているのでしょうか?それとも“本音”と“建前”の使い分けでしょうか?

自粛を強制したり、設置を強要したりするようなリーダーシップにも疑問を感じる一方、“推奨”なら、そう「しやすい」雰囲気づくりにも同時に力を入れるべきではないかと思うところもあります。

世界規模でリーダーシップのあり方が問われている昨今、「先ず隗より始めよ」とも言われるように、みずからの行動によって範を示すことも必要なのではないかという話でした。

2022年5月

先月(2022年4月)の続きです。

内容を簡単に振り返っておくと…

能力発揮やモチベーション維持などの観点からは、①内発的動機が望ましく、しかも、②外発的動機と(あまり)混在しない方が、目標を達成する確率も達成した目標が持続する確率も高まるということでした。

でも、仮に①からスタートしたとして、そのまま①を貫徹できる人は、果たしてどれくらいいるでしょうか?

何かを(ある程度)長く続けていれば、単純に飽きたり、隣の芝生が青く見えたり、自分でもよく分からない不安定な心に引きずられて、何となく気持ちが萎えてしまうなんてことは、当たり前のように起こり得ますよね?

となると、ある疑問が浮かぶと思うのですが…

そういう気持ちの揺れ動きを乗り越えて、一心不乱に続けている(ように見える)人は、いったい何をしているのでしょう?

いつもながらの断りを入れておきますが、答えは1つではありません。でも、よくある対処法としては、①②を上手に入れ替えながらモチベーションを持続させているというものです(“意識的に”入れ替えるだけでなく、“結果的に”入れ替えていることも含めて)。

どんな人であっても、全く飽きないなんてことは、やはりなかなかありませんので、適当なタイミングで何かの大会に出てみるとか、コンクールに応募してみるとか、あるいは、憧れの人を真似てみたり、新しい道具や方法を試してみたりするのも良いかも知れません。

要するに、時には多少のストレスも加えながら、意識的にも無意識的にもマンネリ化させないための工夫を、ひたすら繰り返していることが多いと言われています。ですから、②外発的動機は決して役に立たないわけではなく、時宜に合わせて上手に活用すれば、モチベーション維持にも目標達成にも役立つということですね。

1つ付け加えておくと、②外発的動機が“多すぎる”と阻害要因として働く可能性が高くなるので、適切な範囲に絞るのは有効な取り入れ方だと思います。

ということで、モチベーション維持に必要なことを記して、まとめとします。

・その時々に効果的な動機を把握すること

・その動機に基づいた対処法を設定すること

当たり前のことだと思いましたか?

その通り。

でも、それをどこまで高い精度で繰り返せるかが、(ひとまずは)勝負の分かれ目であり、それは古今東西において変わらない真実です。

2022年4月

株式会社 脳力開発研究所の創業者である志賀一雅のもとで、現役時代からメンタルトレーニングを実践されている倉野信次さん(株式会社 FOR ONE COMPANY/元・福岡ソフトバンクホークス投手統括コーチ)が、ご著書を上梓されました。

「魔改造はなぜ成功するのか」(KADOKAWA)

武田翔太はなぜ伸びた?

千賀滉大のどこに注目した?

努力を引き出す育成論

指導者としての考え方や態度など、参考になることが、たくさん書かれています。ぜひご一読ください。

https://www.shinji-kurano41.com/

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今回は、イエール大学のウルゼスニフスキー博士が、米国科学アカデミー紀要に発表した論文から。

①内発的動機

例)好きだからする、他の何かでは代替できない

②外発的動機

例)具体的な目標のためにする、他の何かでも代替できる

※以下では「動機」と「モチベーション」を同義で使います。

米国陸軍士官学校(ウェストポイント)の士官候補生1万人以上を対象とした、14年にわたる調査によると、士官(将校)を志した理由で

①>②の場合(内発的動機が強い)と

①<②の場合(外発的動機が強い)を比べると

前者の場合の方が、将校に出世できる確率が約1.5倍高く、その後の5年間、仕事を辞めずに続けられた人の数も約2倍多かったのだそうです。

よって、能力発揮やモチベーション維持などの観点からは、①内発的動機の方が望ましいというのが、ひとまずの結論。

でも、「動機」は、①②どちらか一方だけではなく、併存する場合もあるのでは?その場合はどうなの?という疑問もあり得るところ、それに対するウルゼスニフスキー博士の回答は次の通り。

①内発的動機が強くても、②外発的動機を多く持っていると、将校になる確率が約20%下がる。

②の“多く”というのが大事なところですが 、その場合、気落ちがブレやすくなるとか、おおよそ、そんなことが理由で下がってしまうようなのです。「なるほど」と思えるのは、外発的動機の多くは、個人的な“欲”から生まれるものだったりしますのでね。

ここから例えば、純粋に好きという気持ちに基づいて行動できれば、目標を達成する確率は上がるし、達成した目標が持続する確率も上がるという結論が導かれるわけですが…

長くなりましたので、ここまでの内容を踏まえた上で、次回もう少し先に話を進めてみようと思います。

2022年3月

人々が幸せになるために必要なことは何であろうか?

…苦しみを取り除くことであろう。

では、苦しみとは何であろうか?

…貧困と病気と戦争であろう。

では、貧困と病気と戦争を取り除けば幸せになれるのであろうか?

…そう仮説を立て、その克服を目指していこう。

どうすれば幸せになれるのかなんて、そんなの人によってマチマチ、だから考えても意味がない…と開き直るのも、また個人の自由ですが、それでは話が前に進みませんよね。そこで、とにかく貧困と病気と戦争をなくせば幸せになれる(少なくとも可能性が高まる)と仮説を立て、その克服に取り組んできたのが近代の歴史でもあったわけです。

その結果、貧困と病気と戦争を除けば、幸福度が上がることは確認されました。しかし一方で、その効果が一定の範囲に止まることも明らかになっています。

世界幸福度調査の構成要素

① 個人所得(1人当たりGDP)

② 困った時に助けてくれる(頼れる)人がいるかどうか

③ 健康(平均寿命)

④ 自分の人生を自由に選べる(という感覚がある)かどうか

②はソーシャルキャピタル(社会関係資本)にも含まれる、幸福度の必須要素ですが、①は貧困、③は病気と関連した客観指標で、少し前までは、①③を数値化して高めることに人類の英知を結集してきました。そうすれば、幸せになれる(はず)と信じて。

その結果、どうでしょう。①③に関して、それなりの成果を残してきた国が、果たして幸福度も高い国になったと言えるでしょうか(例えば日本はどうでしょうか)。

一方、④は主観的な項目に分類され、今では、こちらを実感できる方が(そのための環境を整える方が)幸福度の向上に直結すると考えられています。そうした流れの中で、ダイバーシティ(多様性)&インクルージョン(包摂)などの概念も広く受け入れられるようになってきたわけですね。

さて、感染症(コロナ)は③に影響します。そして、戦争は④、あるいは、その災厄を通じて②にも影響を与えるでしょう。 2020年代に入り、人類が克服済みと思われていたパンデミックが再来、それが落ち着きつつあるところで、もう一つの事態が深刻化しようとしている現状です。主観的満足を追求できる自由こそ、人生における最も大切な価値と私は信じているため、それを奪う行為は到底許されるものではないはず。これ以上、戦況が拡大しないことを切に祈ります。

2022年2月

あらためて書くことでもありませんが、Monthly Wellness Talk略してMWTとは、私が講師を務めているMental Wellness Training(MWT)に合わせたいだけの理由で決めたタイトルです。特定のテーマを決めているわけでも、前後の繋がりを意識しているわけでもありませんので、気楽に読み流して頂ければよろしいかと思います。

というわけで、今回も思いつきの内容で。各数字は「周年事業ラボ」から。(2019年10月調査)

https://consult.nikkeibp.co.jp/shunenjigyo-labo/survey_data/I1-03/

創業100年以上の企業数と比率

1位 日本33,706社(41.3%)

2位 米国19,497社(24.4%)

3位 スウェーデン13,997社(17.5%)

4位 ドイツ4,947社(6.2%)

5位 英国1,861社(2.3%)

6位 イタリア935社(1.2%)

7位 オーストリア630社(0.8%)

8位 カナダ519社(0.6%)

9位 オランダ448社(0.6%)

10位 フィンランド428社(0.5%)

創業200年以上の企業数と比率

1位 日本1,340社(65.0%)

2位 米国239社(11.6%)

3位 ドイツ201社(9.8%)

4位 英国83社(4.0%)

5位 ロシア41社(2.0%)

6位 オーストリア31社(1.5%)

7位 オランダ19社(0.9%)

8位 ポーランド17社(0.8%)

9位 イタリア16社(0.8%)

10位 スウェーデン11社(0.5%)

ちなみに、日本国内において各業種に占める100年以上企業の比率は

創業100年以上業種別比率(日本)
1位 製造業26.0%

2位 小売業23.5%

3位 卸業22.3%

4位 建設業7.4%

5位 サービス業5.2%

また、日本国内において全企業に占める100年以上、200年以上企業の出現率は

創業100年以上企業出現率(日本)

1位 小売業5.30%

2位 教育サービス業4.24%

3位 卸業4.23%

4位 宿泊・飲食業3.83%

5位 製造業3.78%

創業200年以上企業出現率(日本)

1位 宿泊・飲食業0.680%

2位 製造業0.246%

3位 小売業0.173%

4位 鉱業、採石業0.154%

5位 卸業0.149%

個人的には、こういう数値を眺めているだけで色々なことが想像できて楽しいのですが、長くなったので、まとめに入ります。

100年以上企業数の国際比較で、日本は米国の約1.7倍。これでも断トツだなと思ったのですが、200年以上に至っては5.6倍と文字通り桁違いでした。

100年以上続くとなると、いわゆる老舗ですよね。4~5代くらいの比較的若い老舗の場合、先祖からの預かりものという過去起点での発想が多く、10代~の古い老舗の場合、子孫からの預かりものという未来起点での発想が多いのだそう。6~9代が、その変わり目というところでしょうか。

そして、このマインドの違いが、大きな変化を避けるか(若い老舗)、大きな変化を生み出すか(古い老舗)の姿勢に表れやすいとも言われており、経営者の思いが、どれくらい反映されるかの違いと言い換えることも出来そうですが、なかなか興味深い話だと思いました。

2022年1月

東京オリンピック2020・パラリンピック2020が開催されたのは何年?なんて、未来の受験生にとっては典型的なひっかけ問題になりそうだな…とか思っていた2021年も終わり、新しい年が始まりました。

今年の初回は、コミュニケーションに関連しそうな3つの実験を紹介します。

1つ目は、あるビデオを見てもらう実験。参加者は、①音声+映像、②音声のみ(ビデオと言いながら…)、③映像のみの中からどれか1つを選び、ビデオに登場する人物の感情を当てようとします。

2つ目は、参加者同士で好きなテレビ番組や映画、食べ物や飲み物などについて話をするのですが、それを明るい部屋で行う場合(相手の姿が見える)と、暗い部屋で行う場合(相手の姿が見えない)とで比較して、どちらがより正確に話し相手の感情を当てられるかを確かめた実験。先ほどの①~③に当てはめると、①と②に該当する条件で会話をしたことになります。

3つ目は、1つ目の実験の音声を(人間の声ではなく)コンピューターの音声に変えて再現した実験。人間でもコンピューターでも話す内容は同じなので、感情を読み取るには、言葉が重要なのか、伝え方が重要なのかを確かめようとしたわけです。

それぞれの実験結果を確認すると、1つ目の実験では、②音声のみ(映像なし)の正解率が最も高く、2つ目の実験では、暗い部屋で会話をした(相手の姿が見えない)方が正確に読み取れて、3つ目の実験では、②コンピューターの音声のみの正解率が最も低かった(①音声+映像、③映像のみの方が、正解率が高かった)のだそうです。特に1つ目と3つ目の実験を比較すると、②人間の音声のみと②コンピューターの音声のみの差が最も大きかったとのこと。

以上の結果から、結論としては、相手の感情を読み取るには「声に耳を傾ける」のが効果的。感情を伝えるには「肉声での伝え方」が大事ということになりますが、この実験に使われていた映像と音声の設定は、簡単に再現できるものも多いので、興味があれば、ぜひ試してみてください。

2021年12月

アルファ、ベータ、ガンマ、デルタ…脳波の話ではありません。イータ、イオタ、カッパ、ラムダ、ミュー、そして今度はオミクロン。そして再び入国制限・入国停止。2021年も振り回され続けた新型コロナウイルスでしたが、この状況は2022年も変わらず続いていくのでしょうか。

東京・五反田の事務所近くにある(あった)沖縄料理店が閉店してしまいました。店の雰囲気も接客も、料理もアルコール(ドリンク)も良く、私が酒飲みではないため、それほど頻繁に利用したわけではありませんが、とにもかくにも残念です。

原因は色々なのかも知れませんが、やはりコロナの影響は大きいと思います。

今年の夏、振り返れば最後の訪問になったあの時、店員さんも、そんなことをお話しされていましたし(閉店というようなことは仰っていませんでしたが…)。

このエッセイを書いている時点では、日本の感染状況は落ち着いていますので、とにかく、このまま終息に向かうことを願うばかりです。

さて、今年も多くの情報がインターネット上を駆け巡りましたが、ネガティブな情報を見続け(させられ)ることで、その人が発信する情報もネガティブに染まっていくという、Facebookが(無断で)行った社会実験があります。

2012年に実施された実験の対象者は、約70万人の英語を使うFacebookユーザー。期間は1週間ですが、ニュースフィードで

①ポジティブなコンテンツの表示を減らされたユーザー

②ネガティブなコンテンツの表示を減らされたユーザー

の情報発信を比較したところ

①が発信する情報にネガティブな言葉が多く含まれ

②が発信する情報にポジティブな言葉が多く含まれていた

とのこと。

この実験の倫理的側面(勝手にやったこと)の是非は、とりあえず置いておくとして、情動感染が起こり得ることを証明した実験と言われています。

また、別の調査では、SNSに没頭する人ほどウェルビーイングが低下するというデータもあり…何だか、ワイドショーの視聴時間が長い人ほど、ネガティブ度が増す(幸福度が下がる)的な話と似ている気もしますが。ただし、SNSがウェルビーイングを下げる理由としては、対面コミュニケーションと比べて、(SNSに没頭する人ほど)常に他者と接続していないといけない!という強迫観念が働いてしまうことも大きく影響するようです。

別に知らなくても全く何も困らないような情報まで、洪水のように流れ込んできてしまう昨今。ありきたりな結論ですけど、自助努力も含めて、情報(インターネット)との適度な距離感を模索する必要があると思いました。 2022年は明るいニュースが増えますように…。