住友 大我

2023年5月

ここ数か月のAIの進歩には、すさまじいものを感じています。一気に何段階か飛び越えてしまった印象で、私も、ひとまずChat GPTの有料版「Chat GPT PLUS」などを利用しながら使い心地を確認していますが、人間とのコミュニケーションと比べても大きな違和感はありません。

Chat GPTを開発したOpen AIのHPによると、2021年までに収集されたWEB上のテキストデータをもとに、ユーザーのフィードバックを用いて継続的に学習を行っているとのことですから、2022年以降に関しては相対的に情報量が少なくなるとしても、知識量そのものは、どの人間にも勝るはず。

もちろん、コミュニケーションに違和感がないとは言っても、確率的に言葉を並べているにすぎず、よって、文章の意味を理解しているわけではありませんが、こちらの意図が伝わったと感じられるくらいには情報を整理して答えを返してくれるので、すごく優秀な秘書がついた感覚はあります。ブレインストーミングとかも、一人で出来てしまう感じですしね。

いずれは、音声によるやりとりも出来るようになるでしょうし、AIを利用すれば、“一般的な”資料やら、“誰かっぽい”作品やらは、ほぼ自動生成されるようになるので、人間の役割とか、人間として何をするのかとかいうことを真剣に考えなくてはいけない時代になりそうです。そんなことを言っている間に、教育のあり方などは、もう差し迫った課題でしょうしね。

「検索」という行為が必要なくなるくらいの状況で、Googleが、どう対応するのかも注目ですが、その一方で、AIに何をさせる(させない)のか、また、動力としての電力の問題など、早急に対応しなければならない懸案事項も多々あります。それでも、この先の未来において、AIとの共存が避けられないことは事実でしょうから、これも人類の進化(変化)と受け止めて、自分なりの距離感を模索している今日この頃です。(あと、正しい文章を作れることは、今後ますます重要な能力になると思います。)

2023年4月

2023年度~メンタルウェルネストレーニング(MWT)協会の会長を引き継ぐことになりました。

そして、これまで私が務めて来た副会長には、ビジョントレーニング推進委員会委員長の岸浩児と、同委員でウェルネストレーニング教室大阪・谷町校教室長の北川健太が新たに就任します。また、前会長の志賀一雅には、相談役として今後も協会の活動をサポートしてもらいます。

これまで皆様から頂戴した、ひとかたならぬご支援に心から感謝を申し上げるとともに、新たな体制に変わるMWT協会も、何卒よろしくお願い申し上げます。

さて、2023年はスポーツのビッグイベントが目白押しのようで、既に、日本の若い世代の大活躍を目にした人も多いでしょう。そして、驚くべきは彼(女)らのコメント力の高さではないでしょうか。失言がないことはもちろんですが、謙虚さと相手への敬意を示しながら、物怖じせず当意即妙に受け答えする様子には、本当に時代が変わったことを実感させられます。

もちろん、そのための教育がきちんとなされていることも大きな理由の一つだとは思いますが、それでも、感情表現豊かに、自分だけではなく、仲間、関係者、観衆の気持ちさえも鼓舞する姿には、その競技を詳しく知らない人でも思わず魅了されてしまいますよね。

そうした選手の成長には、おそらく私と同世代の人達が多く関わっているはずであり、私達の世代は、その前の世代の影響を受けているはずです。連綿と受け継がれるものの先に各世代があるのは、時代も場所も分野も問わないことですので、先達に学びながら、その教えをどのように発展させて行くのか、そして、どのように次の世代に何を伝えて行くのか。これは、私達にとっても、常に念頭に置くべき課題であると認識しています。 1人の天才ではなく、多くの才能あふれる若者が誕生していることは、時代が変化している証と捉えて、私達も、その流れをしっかりと踏まえながら挑戦を続けて参ります。

2023年3月

去る2月26日(日)、株式会社脳力開発研究所40周年、一般社団法人メンタルウェルネストレーニング協会10周年、志賀一雅米寿前年の合同記念祝賀会を後楽園飯店で開催しました。

ご参加くださった皆様、ありがとうございました。メッセージを寄せてくださった皆様、ありがとうございました。

参加された皆様への記念品として、この日のために書き上げた私の著書、「メンタルトレーニングの思考法」を贈呈しましたが、「思考法」というタイトルには、メンタルトレーニングを、テクニックとしてではなく、考え方として伝えたいという意味を込めています。

私が知る限りでも、メンタルトレーニングに関連するテクニックは無数にあります。そして、向き不向きはあるにせよ、どの手法を用いても、結果が出る人は間違いなくいるはずです。しかし、私たちのメンタルトレーニング(メンタルウェルネストレーニング)では、基本的に、それらのテクニックを使いません。

…と、勇ましい?発言をしたものの、私も日和ってしまうことがあるため、そうしたテクニックに手を出そうとすることはあります。なんであれ、実際に試してみること自体は大事だと思いますので。

ところが、ある時、その様子を見ていた志賀から、「そんじょそこらのメンタルトレーニングと同じことをしないように」と指摘を受けました。

“そんじょそこら”には、型があり、手法があります。ただ単に良い結果を出すだけなら、それらの安心確実な方法に当てはめれば充分可能でしょう。しかし、脳波の研究にもとづくメンタルトレーニングという未開の領域を切り拓いてきたイノベーターから見れば、そこが私たちの目指す場所ではないと伝えたかったのかも知れません。そのため、テクニックではなく、考え方を伝えることが重要であり、その考え方のエッセンスをまとめようと試みたのが、「メンタルトレーニングの思考法」というわけです。

脳力開発研究所を引き継ぎ、メンタルウェルネストレーニング協会を立ち上げた当時から、メンタルウェルネストレーニングの大本である「志賀式メンタルトレーニング」を現代的に再解釈して、そのエッセンスを伝え広めることがミッションの一つでした。

もちろん、良い結果を残すためにトレーニングを提供する以上、“そんじょそこら”でなければ何でもOKと言うつもりはありません。しかし、「志賀式」の精神性を受け継ぐのであれば、型にはまらない自由な発想で、みずから道を切り拓こうとするイノベーション精神を持つ者こそ、私たちの考えるトレーナーに相応しいはずです。

そうした人材の育成には何が必要なのか、そうした人材が活躍するには何が必要なのかを模索しながら、今後も活動を続けていく所存です。

後楽園飯店

https://www.tokyodome-hotels.co.jp/restaurants/list/hanten/

メンタルトレーニングの思考法

https://www.mentaltrainingstore.jp/

2023年2月

保育園に子供を預けている保護者は、定刻までに子供を迎えに来るわけですが、もし、遅刻をする保護者が多い場合、どのような対策を講じて行動変容を促そう(定刻に来てもらおう)とするでしょうか?

ここでは、カリフォルニア大学サンディエゴ校の、ウリ・ニーズィー教授の研究をもとに話を進めます。

この研究によると、保育園側が講じた対策は罰金を科すことでした。それによって、「遅刻をしてしまった!」という心理的負担+経済的負担というダブルの負担を負わせて、遅刻を減らそうとしたわけです。その結果、保護者の行動は確かに変容しました。ただし、保育園側の意図とは正反対の方向に。つまり、罰金制度を設けた結果、遅刻をする保護者が、むしろ増えてしまったということですが、なぜ、そのようなことが起きたのでしょうか。

罰金は、当然「罰」ですから、ルールを設定して、違反した人に経済的負担を科すものです。しかし、ルールというものは、もともと気にしない保護者には効力がありませんし、もともと倫理観が強い保護者には意味がありません(「遅刻は良くない」と伝えるだけで十分です)。したがって、罰金制度による影響を強く受けるのは、「みんなが守っているから、自分も守っておこうかな」という態度の保護者であると考えられます(往々にして最もボリュームが多いゾーンでもあります)。

罰金制度が設けられる以前、定刻を越えて預かるのは、あくまでも保育園側の厚意であったため、遅刻をした保護者は、「申し訳ない」などの心理的負担を抱えることがありました。そこに罰金が設定されると、預かり時間の延長が、保育園側の厚意から、お金で時間を買う行為に変わります。つまり、「たとえ遅刻をしても、お金を払う以上は正当な権利」のように、保護者の心理的負担を、経済的負担に変えてしまいました(保育園側が意図した、心理的負担+経済的負担にはなりませんでした)。

保育園側は自分たちの失敗に気が付き、すぐに罰金制度を廃止しましたが、時すでに遅し。一度、預かり時間の延長を経験した保護者は、罪悪感なく遅刻を繰り返すようになり、歯止めが利かなくなってしまったそうです。「もし遅刻を減らしたいなら、罰金制度を復活させれば良いじゃない」ということですね(そうすれば、お金を払いたくない保護者は遅刻をしなくなる)。 罰を与えることで行動変容を促すのは、思い付きやすいアイディアだと思いますが、予期せぬ行動を促したり、かえってモラルや規範が崩壊したりする恐れもあるという事例です。

2023年1月

明けましておめでとうございます。

2023年は、一般社団法人MWT協会(2013年~)が創業10周年、グループ企業である株式会社脳力開発研究所(1983年~)が創業40周年を迎える節目の年です。これまで支えてくださった皆様のお力添えに、この場を借りて心より感謝を申し上げます。

2023年2月26日(日)に、東京(東京ドームの間近)で周年記念の祝賀会を開催します。このエッセイをご覧の方はご参加可能ですので、よろしければお申し込みください。

http://www.alphacom.co.jp/event/20230226.html

社名に「脳力」という単語が使われている通り、脳力開発研究所は「脳」の「力」にこだわりながら活動を続けて参りました。「のうりょく」という音から連想する漢字は、「能力」が一般的かも知れませんが(ですからメールでも書類でも本当によく間違われますが)、その表現では「脳」に注目する意識が薄れてしまうと思います。

脳力開発研究所の創業者であり、MWT協会の会長でもある志賀一雅が、脳の、そして脳波の研究のために会社を設立するのであれば、漠然とした意味を持つ「能力」ではなく、脳波の計測結果をもとに、脳の力を発揮しやすいコンディションと、そのコンディションの作り方について研究していることを分かりやすく打ち出す「脳力」の方が、社名として相応しいであろうという判断でした。

今では何となく浸透している感のある「脳力」ですが、40年前は、まだ一般的ではなかったのでしょう。法務局で社名を登記しようとしたところ、すんなりとは受け付けてもらえなかったのだそうです。その状況を打破してくれたのが、夏目漱石の「吾輩は猫である」の中で「脳力」という表現が使われていた事実。よって、この社名が存在しているのは、漱石様の権威のおかげとも言えるのかも知れません。

さて、脳力を発揮しやすいコンディションの作り方をまとめたものが、メンタルウェルネストレーニング(MWT)ですから、MWTとして伝えている内容も、当然「脳力」発揮のための方法です。また、ビジョントレーニングも、「脳育」の一環として、やはり「脳力」を発揮するための方法と言えます。 生きている限り、脳の活動が止まることはありません。つまり、生きることは脳を使い続けることでもありますから、より良く脳を使うことは、より良く生きることに直結します。区切りの年となる2023年も、皆様の「脳力」発揮をサポート出来るように活動を続けて参ります。より一層のご愛顧を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

2022年12月

世間の流れには乗っておこうということで、今回はサッカーW杯の話題です。

ベスト8まで、あと一歩。本当に惜しかったですが、120分を戦い抜いた後のPK決着というのは、いつものことながら酷だなと思いました。それにしても、グループステージで日本代表がドイツ、スペインに勝利した試合は、後半のひっくり返し方が素晴らしかったと思う一方、日本代表に対する評価のひっくり返り方も、すごかったですね。恒例というか、お約束というか、それだけサッカー愛が強い証拠なのかも知れませんが…。

さて、今回のサッカー日本代表には大卒者が多いという記事を目にしました(2002年3人→2022年9人)。その記事によると、代表メンバーの中のある選手は、高校時代に10番(一般的にはエースナンバー)を背負い「やんちゃな部分もあった」が、セレクションを受けたり、自分が好きな(得意な)ポジション以外でのプレーを経験したりする中で我慢を覚え「人間性」が形成された。

一方、大学には行かず18歳でプロになると、「伸び盛りの時期に試合経験を積めず、プライドが邪魔して成長を止めてしまうケース」もあるとのことで、18歳でプロになれるわけですから、たいていは際立った才能が認められているはずなのに、「人間性」に関わる部分が阻害要因となり、成長を妨げてしまうという感じでしょうか。

この手の話は以前にもありました。「サッカー日本代表になる選手には高校の部活出身者が多く、クラブユース出身者が少ない」とか「ユース出身の選手は巧いし技術もあるが、いざという時に力を出せない」とか。

(※)今は、そのような明確な傾向はありませんので、過去の話として続きをお読みください。

理由は、ユースだと、グラウンドも芝で、グラウンド整備もボール磨きも担当の人がいて、サッカーだけに集中できる環境が整えられている。一方、高校の部活だと、ボール拾いもグラウンド整備も、場合によっては応援団も自分たちでやらないといけない。そういう環境の中で、技術以外のことも学び、色々な角度からサッカーを見られるようになる。このユースと部活の環境の違いが、試合に臨む時の気持ちや、ここぞという時の粘り強さに出る云々。

また、部活では、サッカー部以外の人との交流があるのも良いと言われていました。色々な競技や選手から刺激を受けるのも大事ということです。

いずれの話も、「人間性」の向上がプレーヤーとしての向上にも繋がるということで、確かに人がプレーするわけですから、人としての総合力みたいなものが重要なのは事実だと思います。

2022年11月

YouTubeのメンタルウェルネストレーニング協会チャンネルで「志賀式実践メンタルトレーニング」の音源をリリース開始しました。全15種類のプログラムを、おおよそ週1回ペースで公開していく予定ですので、完了は来年1月くらいになると思います。最終プログラムが「成功・開運のプログラム」(予定)のため、追加される音源を順次実践していくと、新年にぴったりの、めでたい1月を迎えられるはずです!

メンタルウェルネストレーニング(MWT)は、文部科学省委託事業としてスタートしたため、朝礼や授業前などの短時間で実践できるよう、目安3分の設定で各プログラムを作り直しましたが、オリジナルのメンタルトレーニングとしては、約10分~30分以上の本格的なプログラムまであります。取り組む時間が長いほど、トレーニングの効果を発揮しやすいわけではないのですが、私がメンタルトレーニングを学び始めた約20年前は、長尺のフルバージョンも含まれていましたし、MWT(協会)の認知度を高める意味でも、音源を公開する運びとなりました。

これから公開する予定の「蓮の花になる瞑想(ロータス・メディテーション)」など、MWTと比較すると、だいぶ濃い目なプログラムもありますが、個人的には、どれも懐かしいものばかりです。

このプログラム全体のキャッチフレーズは「成功という階段を駆け上がるチャンス」。脳力を引き出し、現実を夢に近づけ、人生を大きく変えるためのトレーニングとして作られていますので、皆様にも、ぜひ実践して頂きたい内容です。当プログラムの創始者・志賀一雅の声による誘導と(アルファ波を誘発する)アルファ音楽を聞きながらの実践という点では、MWTと異なる趣の新鮮なトレーニング体験にもなると思います。

エッセイ執筆時点(11/8)の公開音源

・Session2 呼吸とリラクゼーション

・Session3 リラックスの強化

・Session4 自由連想

・Session5 アルファ波のコントロール

・Session6 アルファ波の強化

※ Session1は諸事情により非公開です。

既に公開中のMWTと同様、末永くご活用ください。

2022年10月

前回(2022年9月)の続きです。

ハイパーソニック・サウンド(HSE)とは、狩猟採集民として長期間を過ごした「熱帯雨林」などに豊かな音であり、その環境に適応進化した結果、現生人類に身に付いたものではないかというのが大橋氏の分析です。実際、熱帯雨林環境には20kHz以上の(100kHzを超える)超高周波成分が豊富に含まれている一方、都市化が進むほど超高周波領域は著しく貧弱になることが示されています。

また、騒音の大きさを示す単位はdB(デシベル)ですが、聴覚が健康な人に聞こえる最も弱い音を0dBとして、その10倍を10dB、100倍を20dB、1000倍を30dBと表記します(dBは音の大きさ、Hzは音の高さです)。色々な音のdBをまとめると下記の通りです。

120dB 飛行機のエンジン

110dB 自動車のクラクション

100dB 電車が通る時のガード下

 90dB 騒々しい工場の中

80dB 窓を開けた地下鉄の車内

70dB 騒々しい事務所や街頭、掃除機、電車のベル

60dB 乗用車の社内、洗濯機、普通の会話

50dB 静かな事務所、家庭用クーラーの室外機

40dB 深夜の市内、図書館、静かな住宅地の昼

30dB 郊外の深夜、囁き声

20dB 木の葉の触れ合う音、置き時計の秒針の音

100dB辺りの音を想像すると、確かにうるさそうだなと思いますが、実は、熱帯雨林を含めた自然環境にも100dBを超える音は存在していて、では、それを不快に感じるかというと、そうとは限らず、むしろ心地よさを感じることさえあると言われています。その理由は、「高複雑性超高周波音」という音の情報構造にあるようですが、詳しい内容は、大橋氏の著書などをご確認いただくとして、簡単に言うと、変化に富んだ豊かな音という感じです。

大橋氏の著書では

現代文明圏の環境音として

・都市の静寂な室内音

・トラックが通過している道路の音

稲作漁撈文明圏の環境音として

・筑波の屋敷林

・ジャワ島熱帯雨林

・バリの村里

・ボルネオ熱帯雨林

などのスペクトル(※)が紹介されています。

(※)複雑な組成を持つものを成分に分解して、量や強度の順に規則的に並べたもの。

したがって、“うるさい音”は、音が大きいから“うるさい”とは言い切れず、音を構成する成分が重要ということになりますが、トラックの通過音のような、都市環境で生まれる人工的な音のスペクトルを見てみると、確かに、周波数の変化(20kHzを超える音)などが、ほとんど含まれていません。脳波の話にも出てきますが、「ゆらぎ」がない状態です。

 

特定の周波数を(耳や体で)聴くことの効果を謳う説もありますが、そこに自然な「ゆらぎ」がない(人工的に作られたものである)とすると、そもそも不自然で、それで本当に効果があるのか?という疑問は、HSEの研究からも窺われるところではあります。  熱帯雨林環境以外の「高複雑性超高周波音」を含む環境などについては、次月以降で。

2022年9月

可聴周波数帯域を超えた超高周波成分を含む音が、脳深部の基幹脳ネットワーク(間脳・中脳・前頭前野など)の活性度を高め、心身にポジティブな効果をもたらす現象「ハイパーソニック・エフェクト(HSE)」について。大橋力氏(映画『AKIRA』の劇伴音楽を担当した芸能山城組を率いる音楽家・山城祥二氏と同一人物)の研究によると、人間が認識できる上限周波数20kHzの音に、50kHz以上の超高周波成分を加えて再生すると、(超高周波成分は音として認識できないにも関わらず)音の印象が変わり、心身にポジティブな反応が表れるのだそうです。

今や平成時代の遺物と化しつつあるCD(Compact Disc)には、規格上22.05kHzまでの音しか収録できません。その理由はいくつかあるようですが、例えば、人間の可聴域がおよそ20Hz~20kHzであり、しかも15kHz以上の音は音質に影響を与えないと考えられているため、20kHzくらいまでの音を再生できれば十分だから…など。しかし、自身の作品をCD化した結果、レコード(昭和時代の遺物?)からの音質の落差に大きなショックを受けた大橋氏が、脳科学の手法を導入して生理的反応面から見出した根拠がHSEでした。

可聴音のみの音と比較して、ハイパーソニック・サウンド(可聴音+超高周波音)では、基幹脳(間脳・中脳・前頭前野など)の血流増大、脳波α波の増大、免疫系への影響(NK:ナチュラルキラー細胞の活性)、内分泌系への影響(アドレナリンやコルチゾールなどストレス関連ホルモンの減少)、接近行動の増加(より大きな音で聴きたい)、好感度の増加(感動した、音質がよい、耳あたりよく響く)、また、映像と組み合わせた時の影響(画質がよい、美しく見える)などの、生理的指標を含めた効果(HSE)が確認されているようです。

接近行動や好感度の増加が、脳波α波の増大をもたらし、免疫系や内分泌系への影響に繋がるというのが、メンタルウェルネストレーニング的観点から考えられる一つの道筋でしょうか。

では、なぜHSEが起こるのか?続きは次月以降で。

2022年8月

現在、MWT協会の機関誌を製作している最中ですが、私も毎回2~3の記事を担当していて、その過程で不採用にする文章が、いくつかあります。普段は、そのまま削除して終わるのですが、ちょうどメルマガを書く時期と重なったため、その中からネタを1つ転用しようと思います。

参考文献は「予測不能の時代」(著者:矢野和男)

テーマは、エントロピー増大の法則と不平等の拡大。

エントロピー増大の法則(熱力学第2法則)については、大学時代に履修した「論理学」という結構マイナーな授業でも扱っていた記憶があるのですが、自然法則としては基本中の基本。ちなみに、熱力学第1法則は、ご存じ「エネルギー保存の法則」です。

授業で学んだ時は、エントロピーに「乱雑さ」とか「無秩序さ」という日本語を充てて、エネルギーが低い状態に向かい「乱雑さ」を増して行く現象とか、そのような説明を受けました。水は低きに流れるとか、暑いと氷は解ける、寒いと水は凍るとか、そんな感じのことをイメージすれば分かりやすいでしょうか。

この現象は森羅万象に当てはまります。当然、人体もエントロピーが増大するわけですから、時間が経つにつれて乱雑さが増し、老化が進み、その最終形として「死」に至るというわけ。より具体的には、細胞の境目が曖昧になるという意味での乱雑さが「老化」を表しているらしいですが。

さて、エントロピー増大の法則をシミュレーションするために、平等な状態から始めて、平等な確率で行われる取引を繰り返すと、最終的には不平等になる、つまり格差が生じるのだそうです。なぜなら、乱雑さとは、ばらつき=多様性がある状態のことで、多様性がある=違いがあるということで、違いがある=格差があるということだから。

もう気が付かれた方もいらっしゃるかも知れませんが、乱雑さとは、言い換えると“自然な”状態のことです。よって、先のシミュレーションにおける“平等”とは、本質的に不自然な状態であり、(多様性を認めることも認めないことも含めた)多様性こそ、自然が進む本来の方向性である、ゆえに格差が生じるというわけですね。

裏返すと、平等(が良いか悪いかの議論はさておき)のような“作られた”状態が維持されるのは(身に付くのは)、意図的な働きかけの結果ということも表しているのだと思います。